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 顔が見える生産者:和歌山県下津のみかん(農薬・化学肥料3割減)の紀伊國屋文左衛門の船出の地

このみかんの産地和歌山県下津に行ったときに案内をして頂きました。

ここ下津は、紀伊国屋文左衛門の船出の地という事で、石碑がたっています。

豪商になるまえの紀伊國屋文左衛門が、みかんを江戸まで運んだという事なんですが、

「沖の暗い海に白帆が見える あれは紀州のみかん船」

その年は、みかんが大豊作。その状況をみた大阪の商人が、二束三文で買いたたかれる始末。

一方江戸では、みかんが欲しくてたまらない。江戸中探してもみかんがない。

みかんの時期だからみかんが欲しいだけでなかった。それは、毎年、お祭りがありました。

そのお祭りとは、ふいご祭り。ふいごとは、昔鍛冶屋が使っていた、なくてはならない道具で、

おこした火に風を送る道具、。昔は、刀など鍛冶屋多くありました。このふいごは、命と同じくらい大事なもので生活を支える道具。

このふいごを、1年間無事に生活ができた御礼を神様にして清める そして、近所や知り合いにお餅とかみかんを配る風習があり、受け取った方はそれを食べると病気にならないという言い伝えがあった。

という事でみかんの需要は1年で一番高い時期でした。

そこで、紀伊国屋文左衛門が、みかんを荒れた海の中運び、届け、

それはそれは、高く売れたそうですが、江戸の庶民は、たいそう喜び、

こんな、荒れた海にみかんを船で運んだやつはだれか・・。それは紀伊国屋文左衛門。

売れたのは、みかんだけでなく、紀伊國屋文左衛門の名前も売れたという事でした。

これを和歌山県下津の人たちは、今でも誇りに思っています。

そんな紀伊國屋文左衛門の船出の地和歌山県下津のみかんです。

このみかんの裏側には、多くのエピソードがあるもんですね、

知らないより、知って食べる方が美味しいですよね。

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